相原 豊(あいはら ゆたか)
YUTAKA AIHARA
1979年6月21日生まれ
WORK:
サッカー指導者
ユタカフットボールアカデミー(タイ/バンコク)代表




YUTAKA AIHARA
1979年6月21日生まれ
サッカー指導者
ユタカフットボールアカデミー(タイ/バンコク)代表

どうやら、ボクの住む街シラチャも騒がしいらしい。
いや、騒がしいっていうのは、警告って意味で。
なんか、外出禁止令が出たんだよね。
御冗談かと思って、晩御飯を食べに出かけようとバイクタクシーに乗ったらさ。
”20時までに帰れよ。アブネエぞ”だって。
どーやらタイ人も警戒してるらしい。
ってことで、素直に早めにご帰宅。
でもね。
ボク、こんなの慣れっこよ。
過去の危なかったお話。
聞いちゃう?
まず、バングラデシュ。
あそこってね、月一でデモやらストライキがあんのよ。
よくバスとか燃やされてたよね。
ボクは練習があって自宅待機が許されなかったから、そんな中を練習に行ってたよ。
あとね。
爆破事件もあったねぇ。
国内255か所で同時爆破事件が起きたのよ。
おお、ボクの練習場への道もやられたよね。しかも、ボクが通った10分後位に。
うひょ~。ギリギリっす。
そして、ウガンダ。
大統領選挙の前は街中で催涙ガス捲かれてたのよね。
うん。思いっきり吸いこんじった・・・
あと、ボクの住んでた家の近所で銃撃がったみたいで、お世話になってる人から心配の電話が。
”ユタカんちの近所で人死んだぞ。”ですって。
その頃ボクは・・・
練習場近くのバーでママさんを口説いてました・・・
心配させといて、そんなんでスイマセンです。
あとね。
またバングラデシュなんだけど、夜中に銃で襲われた事もあったね。
ボクの帰国が決まって、送別会をしてくれたのよ。
その帰りの道中でボクが一人になった夜道よね。
襲われちゃった。テヘッ。
危なく葬別会になるとこだったよ・・・
書き出してみると結構危なかったね。
みんな、ひかないでね。
だから、わりかし慣れっこなんですよ。
でも、わざわざ飛び込むようなバカな真似はしないけどね。
ボクだって死にたくないし。
でもね。
もしも、誰かバンコクですんげえ危ない目に会ってたら、白馬のユタカ様が助けに行きますよ。

・・・すんません。結局コレが気に入っただけです。
Read Comments (4)みんな、このご時世にご心配のメール、ありがとね。
ボクの住んでるシラチャって街は結構平和なのよ。
バンコクも全部が危ないってワケじゃないし。
だから、ボクは無事に、元気に過ごしてるよ。
でも、困るよね。
そのデモ隊のせいで、街中の交通機関もストップしちゃうし。
こうなったら、ユタカがデモを止めに行っちゃう?
警備隊ユタカ、出陣?!

うん、結構恥ずかった・・・
ある種、コレもデモですわ・・・
とにかく、ユタカは無事です。
まず、昨日のNHKの”ミッション”。
渡辺さんじゃなかったね。なんかゴメンナサイ。
そして、タイに戻って来てもうすぐ1ヶ月が経とうとしてるのに、未だモンゴル話でゴメンナサイ。
でも、しょうがないじゃん。
ネタがまだまだあるんだから。
むしろ、ネタを作りに行ったようなもんだからさ。
ボクの海外ってそういうノリだからさ。
サッカーなんて2の次よ・・・
で、モンゴル行く前のみんなの一言。
”朝青龍に会ってくるんでしょ?”
あのさ、あの広大な土地で、どんな確率だよって話よね。
確かに、朝青龍は人より面積がデカイから多少は確率高いかもしれないけど・・・
と、思ってたら、会っちゃいましたよ。
まさかの旭鷲山さんの方に。

ワケあって一緒に昼飯食っちゃいましたよ。
でさ、現役時代”技のデパートモンゴル支店”と呼ばれた、日本相撲会へのパイオニアの旭鷲山さん。
デパートじゃないけど、”旭鷲山タワー”なるオフィスビルがあったよ。

まだまだ日本語ペラペラでウェルカムな人だったよ。
今はモンゴルで議員さんをやってるんだよね。
いやぁ、日本の議員さんにも会った事ないのに、モンゴルでまさかのご対面ですよ。
握手した手こそ、肉厚で柔らかかったけど、あの圧力とオーラはなかなかだったよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E9%B7%B2%E5%B1%B1%E6%98%87
モンゴルの話は置いときまして。
先週月曜日の10時15分からのNHK(タイ)の番組”ミッション”。
次回予告で、バングラデシュのストリートチルドレンの為の支援施設のエクマットラをやってたの。
もしかしたら今日の夜、放送すんのかな?
いやね。
実はボクがバングラデシュにいた時に、そこの渡辺さんっていう創設者の人と知り合って、そこの子供達とサッカーをやりに行ったのよ。
ボクがお世話になってた、青年海外協力隊の三田さんと一緒に。
ボクと三田さんはコントが好きなのね。
よく社長と秘書のアドリブコントだったり、知ってる者同士で知らないふりして合コンしたりと、決して人の為にならない事ばっかりやってたのよ。
そんな三田さんの一言。
”ユタカも人の為になんかしろよ。”
この三田さんの、自分の事はさておいた一言で、ボクらはエクマットラにサッカー教室を開きに行ったのよ。
渡辺さんはスゲエよ。
バングラデシュってストリートチルドレンなんてスゲエ多いのよ。
勿論全員救えるわけじゃないけど、それによってどれだけの子供が救われたか。
詳しい活動はHPを。
最後にURL載っけます。
で、ボクらと一緒にサッカーやった子はどれだけ笑ってくれたか。
普段から渡辺さんが踏ん張ってるお陰で、きっと彼らは笑顔になれたんだよね。
っていうエクマットラの渡辺さんの活動をNHKが放送してたんだよね。
ホレ、みんなで一緒に写真も撮ったんだよ。

こうやって一緒にサッカーやって、ご飯食べて。
その後、サッカーのお礼にって子供達みんなで”ぼくらはみんな生きている”を日本語で歌ってくれたの。
正直、感動よ。
ウルウルくるよね。
で、帰りのバスの中で、三田さんと今までの愚行を顧みて・・・
”俺達、何やってたんだろうな。”
2人で猛省・・・
ただ、その二日後ぐらいには、反省を吹き飛ばすくらいに酔いつぶれたボクらがいた・・・
嫌いだったバングラでの、数少ない素敵な思い出。
みんなもエクマットラを応援してね。
http://www.ekmattra.org/JAP/
ドラクエファンなら分かるかな?
攻撃呪文で1番強力な呪文。
モンゴルでまさか受けるとは。

羊肉のヌードル。
ただの羊肉ならイケるのよ。
たださ、スープ&ヌードルってなると、匂いが一気に襲ってくるのよね。
モンゴルに敬意を表さなくていいのなら、ハッキリ言いますよ。
スゲエ臭えっ。
コレを食うまでは、オシッコが羊肉の匂いがしたのね。
コレ食ったら、オシッコの匂いが獣の匂いになるのよね。
”抱かれたくない男”とかってあるじゃない。
当時のボクは、”抱かれたくない獣”となってたね。
チューカさんの家にて。
”ユタカ、おまえはもううちの家族だから、遠慮しないで好きに家のもんを使って良いぞ。”
だって。
ありがたい言葉だね。
で、冷凍庫の中を覗いてみたのね。
スゲエよ。

肉のみ・・・
これでも、うちらが結構食ったから、減った方だよ。
そりゃ力強くなるよ。
サッカーの練習後、子供同士で相撲やってじゃれてたのね。
で、おじさんも参加しちゃおうって事で、ボクはいかにもモンゴルな子供と対戦してみたのよ。
コイツね。

軽く遊びのつもりだったけど、コイツ、バリ強えからね。
なんで、試合中とかすぐに倒れるのに、こんな遊びの相撲じゃ倒れてくれないんだろうね。
おじさんムキになっちゃったよ。
ギリギリの勝利だけど勝ちは勝ちよ。
コイツの強さを見て、サッカーやんないで相撲やった方が、日本で儲かるのにって思ったよね。
そりゃ、サッカーやらんよね。
韓国人達とのサッカーの後、不測の事態が。
なんかね、寒過ぎるとね、デジカメのバッテリーの減りって早くなるらしいの。
バッテリーが無くなっちゃった・・・
で、急遽携帯の写メでの撮影。
さ、その日は子供の練習試合の日。
ボクも見に行ったのね。デレン墨田の試合。
グランドはあの朝青龍が使ってたグランド。
こんなに何回も使うと、もうボクの中でありがたみが無くなるよね。
で、この日もやたら寒いのよ。
0℃に辿り着かない日々は続いてたのよ。
でも、子供達は元気に頑張ってるワケですよ。

ま、さすがにニット帽、手袋着用で試合だけど。
子供の熱い試合。
コーチも熱くなってるのよね。

だけどさ。
ホレ。試合なんて言われても、ボクは別にやる事ないのよ。
だからさ。
控室にて控えさせてもらったよ。

たまにグランドに出ては、相手チームの監督さんに、チョコレートティーを貰って、寒くなって控室へ。
そして、また飲んで、お腹冷えて、オシッコして。
あの日のボクは、全くサッカーに関与することのないサッカー選手だったね。
故に、試合の結果は分かりません。
子供が頑張ってたのは頑張ってたと思う。
勝敗で言ったら、ボクが寒さに負けたくらいかな。
以上が、練習試合の報告。
・・・そりゃスポンサー企業に言われるよね。
”ユタカさん、ブログ見させてもらってますけど、あんまりサッカーやってませんよね。”
・・・陳謝します。
ボクが朝一でウランバートルに帰って来た日。
日本人の人たちとサッカーやる事になってたの。
ボクの生活には切っても切れない青年海外協力隊の人たちね。
で、日本人、モンゴル人、韓国人のサッカーだったの。
でさ、ボクが色んなプレーをしたら韓国人が”明日、モンゴル人と交流戦があるから来てくれ”なんて言うのよ。
行きましたよ。
例の朝青龍がサッカーやってたグランドに。
そして、これが噂の‐8℃でのサッカーよ。

13人いるでしょ。
ベンチに座ってたらそのまま凍っちまうよね。
ってことで、ベンチ0人。
まさかの13対13のゲームKick Off!!!
いやぁ、報われない努力ってあるんだね。
どんだけ走ってもあったまんねえよ・・・
むしろ走ったら風が顔に当たって逆に痛えし。
で、ハーフタイム。
”飲みな”手渡された水。
・・・あのぉ、少し氷が張ってるんですけど。
なに、冷蔵庫の方があったかいってことかしら?
この期に及んで冷や水を与えられ、後半戦。
って言っても、寒さ以外になんもない試合だったし内容はそっと保冷室へ。
暑いサッカーってボクの引き出しに、新たに極寒のサッカーが加わったよ。
忘れてた。
今日発売のサッカーマガジンにユタカ出ちゃってます。
また記事を見て、このブログに来た人には、”こういうヤツか”と残念がられるような、イイ感じの記事になってるのよ。
機会があったら見てみて。

前回のでモンゴルの話終わったと思った?
ゴメン。
まだまだだよ。
ってゆーか、ようやく折り返しくらい。
もう暫し、付き合いのほどを。
朝っぱらにウランバートルに到着。
で、そんな朝早くのクソ寒い中、チューカさんが迎えに来てくれたの。
チューカさんってのは、何回か説明してる”デレン墨田”っていうU-13のチームの団長さんで、会社の社長さん。
ボクは残りのモンゴル生活を、チューカさんの家で住むらしい。

寒さと睡魔で表情の無くなったボクの右がチューカさんね。
で、おうちがココ。

こんな家(↓)じゃなくてゴメンネ。

で、チューカさんちは、1階が現場。2階がオフィス。3階が家になってるのよ。
スゲエ良い家だったよ。
卓球台まであるのよ。

ボクが泊る部屋はココ。

今までの海外生活で1番良い家かも?!
まさかのモンゴルですよ。
で、ご飯の準備は可愛い息子がじゅんびを手伝ってくれるのよ。

皮を剥いたあとのジャガイモを地べたに置くのは、まあご愛嬌として。
この極寒の国で、あったかい家庭があったよね。
そして、ユタカもその一員。
なんか、モンゴルってイイかもって、更に思ったね。